神戸市兵庫区について 神戸住まいるネット
神戸市兵庫区は、東に中央区、西に長田区、北側は北区と隣接しております。
神戸市兵庫区の海岸部は、六甲連山によって北西の季節風が遮られ、和田岬によって西からの波浪が防がれ、さらに水深と投錨に適した海底の砂に恵まれた天然の良港が今の兵庫港あたりに形作られていたので、奈良時代の昔より、瀬戸内海の交通の要衝として、また、外交の窓口として歴史に名をとどめています。
そして幕末、兵庫港の開港を諸外国より求められた幕府が、あえて当時人口希薄な、東隣の一漁村神戸を開港したことで現在の神戸、モダニズム発展へとつながっていった発祥の地とも言えるところです。
また、兵庫県は、1868年に明治新政府が地方を「府県藩」に分けた際、伊藤博文が初代知事となり、兵庫区内切戸町の兵庫城に県庁が置かれ、1871年の廃藩置県などを経て、現在のような形へと移行してきています。
大正から昭和に入り、兵庫区には三菱重工、川崎重工などの大企業が次々と進出し、労働者のまちとして大いに賑わい、そして湊川の河川掛け替え工事により登場した「新開地」には、「聚楽館」をはじめ、数々の映画館、演芸場、寄席などが建ち並び、「東の浅草、西の新開地」と呼ばれ、戦前戦後の大衆芸能、大衆文化の発信拠点として、その中心的役割を果たしたようです。
兵庫区は、現在の神戸を語るうえで、欠かせぬ歴史を秘めたまちです。